未完で甘露な日常

蜜柑は柑橘 日々を満喫

『ぼくらの』生について考える

 

mikankanro.hatenablog.com

 

(当エントリには原作のネタバレを含みますのでご注意下さい)

自然学校へ通うために集まった15人の子供たちは、ココペリという謎の人物から、ジアースというロボットによるゲームに誘われた。しかしジアースの動力源はパイロットの命であり、操縦するためには自らを犠牲にしなければならなかった。時を同じくして地球の淘汰を企む敵が出現、子供たちは命を引き換えにしながら、戦いを続ける。

【マンガぺディア(https://mangapedia.com/ぼくらの-edf9l40z0)より引用】


先日のエントリに関連し、原作は知ってるけどアニメは観たことがないシリーズ(?)として『ぼくらの』について語りたい。

『ぼくらの』を一言で表すとすれば『勝っても負けても必ず死ぬロボットバトル漫画』といったところだろうか。乱暴な言い方をすればインパクト重視のある意味出オチのような設定だが、この漫画のすごい所はその種明かしが済んだ後の少年少女の心理描写の良さであると思う。結論から言ってしまうと、ロボット(以下ジアースと呼ぶ)に乗り込んだ少年少女達は全員戦って死ぬ。そこには例外も奇跡も裏ルール等も無く、全員死ぬ。しかし彼らは死ぬ為に戦うのではなく、自らの『生』を見つめ直す為に戦っている。ある者は自分の生きた証を残そうとしたり、ある者は何の為に戦うべきなのか苦悶したり、序盤以外のパイロットは皆それぞれが自分なりの答えを見出だして散っていった。結果だけを見ると悲しい結末だけれど、読了後に不思議な爽快感を感じるのはそのためなのではないかと思う。

物語の中盤、パイロットの子ども達は自らが戦う『敵』の正体を知ることになる。彼らが戦っている相手は平行世界の自分達であり、つまり自分達は宇宙規模での生き残りを懸けた戦いをしているのだ。ジアースで勝てば、自分達の惑星(ほし)は生き残る。しかし同時にそれは他の惑星=何億もの命を滅ぼす事を意味している。タイトルの『ぼくらの』が何を指しているのか、私は平行世界一人一人の『ぼくらの』命であるとか、星であるとか、そんなようなものなのではないかと考える。

ラストはカタルシスもあり年齢の割に達観している登場人物が多いので、そこまで(一部後味の悪いエピソードはあるけれど)鬱々とした印象は個人的には無い。同作者の『なるたる』よりは人に薦めやすいかと思うのだが、果たしてどうだろうか……。